【※感動】公演中に泣き出した赤ん坊⇒退出しようとしたお母さんへの橋下元市長の対応が素晴し過ぎて惚れた。。

講演中に赤ちゃんが泣き出して退出しようとするお母さん。それに橋下市長が神対応!

橋本元市長とはどのような人なのでしょうか?

みなさんご存知でしょうか?

小学校時代

小6で身長170センチ、体重65キロの体格だった橋下はかなり目立つ存在だった。小学校では転校初日からいきなり同級生に殴られた。小中学校時代は、体の大きさから「おっさん」と呼ばれた。

 

中学校時代

中学2年生でラグビー部のキャプテンとなった橋下について当時の顧問は、「彼は1日の練習プランではなく、継続的なプランを立てた。なぜその練習が必要なのかを理屈で部員に説明していた。急速にチームが出来上がっていった」と話す。また、3年生時の担任教諭は、「クラスがもめた時、互いの主張を取り入れて解決するのは必ず橋下だった。論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師から見てもこちらが見透かされているような怖さがあった」と語る[。ラグビーを始めた理由は「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」という。

高校受験シーズンを迎えた頃、橋下は放課後の教室で仲間達と勉強会を開いたが、実際には橋下がみんなに教える場になっていた。「勉強教えて」と言われれば、嫌な顔一つせずに応じていたという。仲間達と進路の話題になると橋下は、「俺は将来、政治家になりたい」と語り、当時の仲間の一人は「僕らはどの高校に行くとか、目の前のことしか考えていなかったけど、あいつはいつも遠い先を見据えていた」と回想する。

高校時代

高校時代の同級生には自民党前衆議院議員の川条志嘉、NHKアナウンサーの藤井彩子などがいる。高校時代に所属していたラグビー部の顧問は橋下について、「能力の高さは際立っていたが、まじめに練習する姿勢は感じられず遅刻も多かった。小さい頃からコツコツ努力するのが嫌いだったんでしょう」と語り、怠慢によりレギュラーを外されると、橋下は別人のように猛練習を開始したといい、「彼は追い込まれなければやらないタイプでは。逆に言えば本番では予想外の力を出せる人間でもあった」と話す[200]

3年生時、全国大会に出場したラグビー部で橋下は、通常8人で組むスクラムを7人に減らし、余った1人が素早くボールを外に蹴り出すという戦術を考案。また、ガムシャラに走るだけの練習をやめ、試合をイメージしながら走る合理的なトレーニングを導入。後に橋下は当時を振り返り、「当たり前だと思ってることに疑問を持ったり、伝統を変えようとしたり、何で?と思った時に立ち止まって考えることで、パワーが生まれる」と語っている。
大学時代
「橋下は破れた革ジャンをタダ同然で仕入れて1着3万円とか5万円で売って大学を卒業したと言っていた。『破れたやつを売ったらまずいやろ』と言うと『どこが悪いんですか。気付かずに買うのはお人よしや』と」。妻は高校の同級生。橋下は進学のために上京するのだが、妻も彼と離れたくないと神戸の大学に籍を残しながら上京、同棲生活をスタートさせた。妻の両親は同棲には反対だったが、彼女は「勘当されても構わない」と駆け落ち同然で橋下と一緒に暮らし、支えていくことを選んだ。橋下によれば「僕は育児に家事何もしないですよ。子供は単に玩具感覚の可愛さです。完全にキム・ジョンイル体制。将軍様ですもん。僕は子供をつくるまでが好きなのかもなあ(笑)」という。
新米弁護士時代

ボス弁の樺島正法は新米弁護士時代の橋下を「純粋な弁護活動よりカネに執着が強い印象だった」「弁護士会から紹介された依頼人から高い着手金を取り、副会長に電話で注意された際『何がいけないんですか』と食って掛かっていたのが印象的だった」と語っている。橋下本人はtwitter(2011年10月29日)で「僕が最初に勤めた法律事務所のボス弁は僕のことを大嫌いである。弁護士の多くは僕のことを嫌いだし。人が人を評価するには色々ある。そういう人は事実を離れて話すだろう。公人という立場である以上、そこは気にしない。」とコメントしている。 出典 wikipedia

こんな感じの略歴でした。学生時代から一歩抜きん出た有能さを感じますね。

 


出典:www.youtube.com

 

赤ちゃんが泣き出したときに橋下市長は

先日、お笑いライブで泣き止まない赤ちゃんに神対応をした中川家の2人がネットで話題となりましたが、

 

これがきっかけで、橋下徹大阪市長(当時)の講演会での対応も神対応だった!と話題になっています。

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